2012年9月20日木曜日

Sep.20 『靴磨きの唄』






昭和20年終戦。

敗戦後の焼け跡のにつきものだったのが、

戦災孤児等による街頭靴磨き。


戦火に親兄弟を失って巷に放りだされた浮浪孤児たちが続出して、

その中に自力で生きよう

活力のある子供がとっついたのが街頭での靴磨きでした。

油性ワックスを一個持って、

お客様はアメリカ兵がほとんどだったようです。



東京シューシャインボーイは昭和26年ビクターより発売されて

歌手は暁テル子さん。

暗い世相に反するように曲は明るくコミカルに歌っている印象深い歌です。



ガード下の靴みがきは昭和30年

同じくビクターより宮城まり子さんが歌っています。

敗戦から10年を経て世の中も少し落ち着いた世相を、

この曲は哀調的なメロディになっています。



現在、銀座4丁目の中央通りと交差している晴海通りを

皇居方面に向かうとJRの線路が上を通っています。

平行して西銀座デパートがある場所は、

当時は川でした。その川に架かっていた橋が、

君の名はで有名な数寄屋橋です。

銀座の象徴的な場所であった、この橋や袂のガード下には

昭和30年代後半頃まで靴みがきをして

生計を立てている人たちが30人位は居りました。



その頃になると軍服姿から背広に変身したサラリーマンが

数少ない手持ちの靴をピカピカに磨いて歩くことがおしゃれでステータスだったようです。

今は街頭での靴みがき屋さんもめったに見られなくなりました。

この時代を知る人も少なくなってきましたが、

靴みがきの唄を聴けばなつかしい風景を思い出す方も

多いのではないでしょうか。